勇気の話

最近、近所で中学1年のときの同級生に似ている人を何度か見かけている。

ずっと同じところに住んでいる人ならば、当たり前かもしれないけれど、中学は長野にいたので、これはちょっと「奇遇ですなあ」「ですなあ」というやつではないか。

けれども、声はかけられずにいる。
この1ヶ月ぐらいで、2、3度すれ違っていて、チャンスがないわけでもないのに、である。

その同級生っぽい人は、中1のときに席が近かった女の子で、ちょっと恋をしていたような記憶がある。だからというわけでもないのだけど、なかなか声をかけにくい。そもそも、人違いだったらちょっと恥ずかしい。下手なナンパと思われても困る。

仮に本人だったとしよう。で、その後どうしたら良いのだろうか。まあ近況は聞くにしても、「じゃあ」ってなことで別れるべきなのか、連絡先などを聞いたほうが良いのか。連絡先を聞いちゃったら、連絡しないとダメだろう。で、連絡して、ちょっと飲みにでも行こうかなんて誘った日には、これっぽっちもやましい気持ちがないのに、変な風に思われるかもしれない。それは心外だ。だったら声をかけずに、やり過ごしていたほうが良いではないか。いやいや、人生の1ページに「奇遇ですなあ」「ですなあ」なんて出来事を刻んでおきたい気もする。次に会ったら勇気を持って声をかけよう。でもなあ……。

なーんてことが頭の中をグルグルと回っていて、当分声をかけられそうにない。

声をかけるには、「ものすごい勇気」か「ものすごい下心」が必要だ。

ってこともないけど……。

「勇気」といえば、高校野球を見て「感動と勇気をもらった」なんて人がけっこういるようですね。あら、うらやましい。

僕はすっかり自分が年をとってしまったことを感じさせられ、これまでの人生の「後悔」と今後の人生への「不安」がのしかかって、心がささくれ立っています。高校のとき、甲子園行っとくべきだった!

今夏の甲子園、決勝戦で逆転満塁ホームランを打った子を見るにつけ、「お前は人生の運を全て使い果たしてしまったのだ!ざまあみろ!」と希望に満ち溢れた若者を貶めるようなことを考え、心の中で悪魔を育て上げています。
きわどいボールで押し出しのファーボールを出してしまったピッチャーの「え、入ってるだろ」という表情を見るにつけ、「よしよし、これをきっかけにグレてしまえ!」と、こっちの世界でテグスネひいて待っております。

甲子園は大人をダークサイドへ陥れる巧妙なワナなのでしょうね。だから(?)人気がある。
それにしても今年は暑い中ご苦労様でした。

NHKでびわ湖に面した滋賀県高島市針江の農家のドキュメントを見て、懐かしい感じがした。

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