憲法のありがたみ

帰って、中華料理屋さん風のカレーを作る。

年末という気がしない。春からのことばかり考えているからか。

国家に死刑という制度を持たせているということ。合法的に国家が国民を殺す仕組みだ。
誰もが気がついたら死刑台に乗っている可能性がある。独裁でなくとも。軍事政権でなくとも。いうまでもなく、ナチス。

岸信介の孫は特攻隊の人たちを讃える新書を書いたが、そのおじいちゃん、つまり岸信介は国を守るため、愛する家族を守るため、特攻しなかった。岸信介の孫は、おじいちゃんのような責任の取り方もあるのだと。特攻隊の若者にはそんな選択肢はなかったのだ。

ちょっと脱線した。

mixiのコミュニティで、管理人さんがある書き込みを削除しました。あるお店に関するネガティブなレビューを。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=902795

皆さんは良識の範囲内での率直な感想を情報共有したまでであって、それがコミュニティの正しい在り方なのでは?大規模なコミュニティならば尚更です。それがすべて店にとって有益な情報しか閲覧できないとなると情報操作ですよ?!表現の自由の剥奪とも捉え兼ねませんよ??店云々おっしゃる前にもっと基本的且つ重要な事項への配慮が欠けていらっしゃると思いますが

ああ、なんと「表現の自由の剥奪」なんて考えてしまう人がいる。情報操作とか、ちょっと大げさなんですけどね……。そう思ってしまうのは「憲法は国民が守るべきもの」という間違った意識のせい。個人が個人に対してモノを言わせないというのは、まあ問題ではあるけれど、表現の自由という自由権の問題ではないのですね。国家に国民の表現を制限させないために、表現の自由という第21条があるのであって。

そういうことをやっとのことモノにできたので、最近、憲法のありがたみをひしひし感じております。

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