It’s a small world after all

望むと望まざるとにかかわらず、僕らは経済活動をしながら生きている。
とか書いておくと、もっともらしいので、まずは書いておく。

誰が考えたのか知らないけれど「お金」という便利で、面倒くさくて、冷たくて、温かくて、そして、できれば沢山持っていたい!キュートな小悪魔を僕らが使うと、どこの誰だか知らない人が何らかの働きをしてくれる。もちろん、その逆も。

マクドナルドでハンバーガーを買えば、イスラエル軍のミサイルが増えて、パレスチナの子どもたちが泣いているし、幸せいっぱいで、キラキラ輝く大きなダイアモンドのついた婚約指輪だか結婚指輪とかを買えば、僕らの母なる大地アフリカで、罪のない人たちが、腕や足を切り落とされる。

そんな具合に世界は廻っている。

バーバラは「I shop therefore I am」と言ったし、込められた意味は全然違うけど、丸井は「You are what you buy.」とか言っちゃうし。

何はともあれ、お金を使う/お金を貰うと言うことは、誰かをハッピーにして、誰かをアンハッピーにしてるんじゃないかと思う。
もう金貨のような、まん丸のお月様に祈るしかないよね。

祈っていても救われないのが現実。エンジ色の袈裟を着た坊さんも祈りながらも戦う時代だ。
そんな現実に目を向けると、日本人ならみんな大好きなワシントンコンセンサスのおかげで、世界経済は立派にグローバル化したし(世界銀行、国際通貨基金、世界貿易機関はその役割をキチンと果たしているんだ)、僕らみんなのものだと思っていた水や海や空や空気も、頭のいい人たちの巧妙な方法で私有化されている。

そんな世界を生き抜くために、人の欲求を満たす仕組みを考えたり、自分の商品価値を高めたり、自分の財産をいかに増やすかを考えたり、ダンボールで家を作ったり、様々なスキル・能力が必要なのだ。日本の片隅で行きて行くためだけでもやることがいっぱいある。参ったな、セニョリータ。

オチも考えずに書いているので、この辺にしておきたい。

川崎市アートセンターで「エコノミック・ファンタスマゴリア」 という舞台を見てきました。

資本主義経済をいろんな切り口で「今の経済活動にはこんなシーンがありますよ」というショーウィンドウみたいに見せていく。
ウッカリしていると「プレゼン方法、いいね」とか「自分の商品価値上げないとな」とか「VISTAでも買ってみるか」かとか、思ってしまう。
ただ「ブルーシートはそうやってゲットするのか!」とは思わないところは、人間の想像力のなさなのか、ピュアな向上心なのか。

そんな感じでお勉強になったりもするのだけど、そんなものを舞台にしてもアレなので、作り手たちの意図を考えつつ、見てました。

以下、帰りの電車でのメモをベースに箇条書き。

・全体を真に受けるか、アイロニーととらえるべきか。
・経済の切り取り方・クローズアップの仕方(ファンタスマゴリア)はやっぱり難しい
・この舞台で描かれたものが経済の全てではない。当たり前だけど。
・新自由主義の中で生きて行くか、そうでないか、二者択一のように考えるのは危険
・人の営みは多様。選択肢は沢山ある(はずだ)から。
・ポストトークで出たグラミン銀行とか、社会起業とかもそうだし、地域通貨なんかもある
・ただ、当分、グラスルーツの域を出ない気がしている。
・そんなことより、自分がどう生き延びるか(自分の市場価値を高める)が重要だものね
・10年、20年後はわかんないけど。
・選択肢の話で言えば、日本は選択肢があまりない(ように見える)
・年金のモデル(4人家族)みたいな選択肢しかないように。
・他の国はどうなのだろうか。そう大差ないのかも。
・人は変われた方がいいけど、変われなくても大丈夫というシステムが必要
・シロクマ君に電気をあげるなら、ワニが持ってたソーラーパネルをあげるべき
・その辺でチェブラスキー君は学びがないから、家がないのだよ。世知辛いね。
・やっぱり世界はいろいろつながっているみたいだ
・税金で芝居をやっても、行政批判はしたほうがいい
・批判は一番それが届くところでやらないと意味がない(上野千鶴子曰く)
・川崎市アートセンターで、「いのちの食べ方」を4月にやる。ナイス。

結局、世界は小さい。

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